当事者支援の在り方を知りに行く

『黙阿彌オペラ』と『WORLD HAPPINESS 2010』の感想はまた後日。キーボードで打ちたいと思うので。
どちらとも
「観に行けてよかった!!」
ということは断言できます。

この頃というか、入院してからというもの考えていることがあって、それは
「持病を抱えながら、生き生きと暮らすことは出来るの?」

ということ。
15歳で患って、なんとか必死に過ごしてきたけど「人並みの青春」はあったのだろうかとたまに思う。
私は高いところにいる人たちに憧れて、嫉妬してを繰り返して今の私になったのだと思うわけで。
要するに「人並み」の設定をやたら高いものに設定して、それが出来なかったら駄々をこねる。の繰り返しでね

この頃ようやく、贅沢だとか甘やかしてもらえたとか考えるようになったわけで。

今後は自力で生活しながら、持病に押し潰されないで生きる術が欲しい。

その手がかりを知る為に、今から岡山に行って講演会を聞いてきます。


話は変わって。ようやく病状が悪化した時の予兆がわかってきた。
「卑屈になる。」
(笑)。大人でも、なるわな。卑屈には。しかし、それが病的な感じになるんです。


こんな不景気な辛気臭い世の中だから、眉間に皺寄るし、疲れきってしまうけど、息抜きしながら今出来ることを着実にやればいいんじゃないかな。周囲から
「パッとしないね。」
とか言われても。
人の人生に口出ししたがるのは、自分の人生に自信がない証拠。
口出ししたくなるくらいキツイんですね、でもそんな風に言われたら私も悲しくなっちゃうよ。
今の私の年齢で自信満々って人も少ないでしょうし。
なるべく人のことを批判せず(卑屈モードに入ると批判しばかりなので)、自分のテリトリーでは快適に。


明日何か変化があると素晴らしい。
明日何も変化がなかったら、悪くならなくてよかったね。という考え方でいきたいもんです。