自宅のリビングの身体にフィットするソファーで麦茶を飲んでいる。
本日、Hさんはお友だちと飲み会なので、自宅に1人で過ごす夜です。
いそいそとお風呂を済まし、いそいそと夕食を終え、映画を観ました。
本来なら今日は劇場で『愛がなんだ』を観たかったけど、熱っぽいので、自宅で配信の映画。
ずっと気になっていたこちらです。
原作の魚喃キリコは大学生のときにハマって作品を全部読んでいました。
原作が大好きすぎる作品の映像化です。この映画、公開当初から気になっていたけど、劇場に足を運べなかったので、自宅で配信で。
時代が現代になっているから原作にはないスマホの操作の場面や、原作にはない脚色の部分が気になったものの、観ていると引き込まれました。
淡々と悲しい重苦しい日常。人を好きになるって大変。暮らしていくって大変。お金を稼ぐって大変。夢を叶えるって大変。
日常が進んでいって、行き詰まる登場人物たち。
・・・でも誰にも感情移入できない。
主人公であるライブハウスで働き、夜のバイトと愛人家業で恋人を食わせているツチダと、ツチダの恋人で売れないミュージシャンのセイちゃんと、ツチダの元恋人で最強のだめんずのハギオとの三角関係。
みんなまっすぐで、好きな方向に向かって生きているけど、いかにせん、しあわせになれない。
しあわせを目指しているのかも謎。ぐるぐる停滞する毎日に磨耗してる。
私がアラサーだったら、この作品に引き込まれたのだろうか・・・。
多感な大学生時代にこの映画を観ていたら、印象は違ったのかな。
恋愛ってなんだっけ?と思いました。苦しくて逃げ道がなくて、しんどい。
そんな印象を受けた。
ツチダの想いは重い。
セイちゃんは不器用。
ハギオはクズ。
どうしたってしあわせになれない三角関係。着地点はどこなのか。
原作と同じ結末で、映画独自の脚色があって、そこが良かった。
こういった報われない恋愛系の作品にハマっていた若かりし頃の私よ・・・。
感性が鈍くなると、シンクロ率さがりますわな。
原作も今読み返したら、感覚が違うんだろうなぁ。
年を重ねて鈍くなった感性は、健康とか老後とか年金のことを考えるようになって、たくましくなります。
多感だった時期はしんどかったことが楽になって、そして恋愛ものに共感しずらくなっていく。そんなもんですかねぇ。
余談なのですが、最近読んだこの作品で
「物語を必要としない人」がいる。って話があって、小説や映画などの物語に引き込まれなくて、実用書ばかり読む人種もいると描かれていたのですが、それはHさんのことだなぁと思います。
Hさんは小説は読まないし、映画も私と付き合い始めるまで観ていなかったそうです。
部屋の本棚は実用書、啓発書、思想書、新書などが置かれていて、初めてみたときはたまげました。
なので、物語を必要としないHさんが『南瓜とマヨネーズ』を観たら、どんなクールな反応したかな?と思います。
私は恋愛ものは共感しにくくなっているけど、物語は必要です。