阿佐ヶ谷スパイダーズ アンチクロックワイズワンダーランド ももちパレス


初・阿佐ヶ谷スパイダーズ。
難しい舞台でした。ついていくのに必死になって食いつくように見ました。
兎に角、考えることがたくさん。アフタートーク長塚圭史さんが
「今までお客さんをなめていた。」
と言ったのが印象的で、確かにこの舞台の結末は観る人全員、答えが違うでしょう。私も一緒に観に行った人と感想を述べ合って、納得した。
賛否両論わかれると長塚さんの話で聞きましたが、これは面白かったと思う。
ただ、「考えたい時」と「考えたくない時」の気分で観客サイドのテンションも違ってくるでしょう。考え込むのが好きな人には向いているけど、単純明快に刺激を求める人には退屈だと思う。
すごくサディスティックな舞台だったと感想で言った人がいて、その表現が絶妙だった。だけど、その人の問いに対して長塚さんはちゃんと答えを持っていて、それを聞くと作品への理解が深まりました。
舞台の戯曲が論文で、観客の質問が口頭試験みたいなもので、確認作業がアフタートークといった形でしょうか。
長塚さん自身がいかに作品を理解して演出しているかが試されるようなアフタートークとなったけど、長塚さんは頭が物凄くいいので私にもわかりやすい説明で、作品をかいつまんで教えてくれました。
でもお客さんの判断に任せたかったのだろうから、具体的な意図は話してくれなかった。そこがいい。自分の想像がかき立てられるから。


かいつまんで書くとこんな感じです。
作家という人間が如何にエゴイストで、その人間の心理描写を、時系列を越えた場面描写で表現してました。
私の観た感覚だと主人公の「不安」とその不安と対になる言葉を忘れてしまったけど(ついていくのに必死だったから)、その対になる感情二つのせめぎ合っていた感じ。
人間って自分を過信してるんだなぁと思った。
作り出す側の人は誇りとかプライドを持つべきだけど、時としてそれが奢りになって他者を馬鹿にする感じになる。
頑で自分以外を信念としない人が陥る自己の限界を越えられずに迎えた苦難を殺人に転嫁していって、それが時間の歪みで事件なのか事故なのかが曖昧になる。
その曖昧な概念を刑事が追求するといった内容。
自分が作り出せる立場の人間だとしても、あの奢り高ぶりは苦手だなぁと思いました。
それは物事に精通している人すべてに鳴らされる警鐘でもあると思います。
知ったかぶりで人にうんちくをたれるのはやめよう。そして自分の知っていることを知らない人がいたとしても相手を馬鹿にした態度をとるとこういうことになるよ?と主人公の転落を見て感じました。