問題提起

自宅の寝室のベッドに寝そべって冷たい麦茶を飲んでいる。

 

目がシパシパ!な月曜日の夜!ですよ。楽しい三連休ももうすぐ終わり…。明日は労働だ〜。はー、嫌になるばい。だけど、働かねば飯は食えぬ。浮かれた街を尻目に出勤します。うーむ。なにか、おいしいモーニングでも食べにいこうかなぁ。楽しみがないとやってられんばい。

 

発達障害についてのコミックエッセイと、依存症の新たな疾患を見つけた、精神科医のインタビューの記事を先ほどネットで読みました。

読み終えて、しばらくうなった。いちこにも思い当たる節があるなぁと言った感想。

発達障害についてのエトセトラは、色んな媒体で、喧々諤々と論じられておりますね。

大体どの話も、いちこの生きづらさへの関与が、見受けられる。

たまに見当違いなのもあるけどね。

いちこは、カレー沢薫さんの『治りはしないがマシになる』が、発達障害の実態を描いた作品の中では一番好きですね。

カレー沢薫さんの駄目さ加減に、妙に親近感がわくというか。

自分の駄目さに開き直りつつ、それでも生活改善をしている姿には、読んでいて励まされる。

今日読んだ、支援からもれている発達障害グレーゾーンの子どもを育てている、親の立場で描かれたコミックエッセイは、読んでいて身につまされた。

そりゃ親の立場の苦悩もあるよねぇ。

発達障害ねー。

障害を免罪符に、開き直っちゃいかんよねー。

「障害だからできません!」ってのは、ちと違うのかなぁとも感じる。

そこら辺の線引きって繊細で、難しいね。

できないことは沢山あるけど、できないからと言って、配慮ばかりを求めるのもどうかと思う。

いちこも発達障害当事者として、どう生きていくかを、よくよく考えることがままあるよ〜。

 

いちこのお友だちは、発達障害のある子も少なくない。

だけど、彼女、彼らは、生きづらさを抱えているけど、働いて、子どもがいる人がほとんどなんだなぁ。

お友だちの子どもにも、発達障害が遺伝してるケースが多い。だけど、みな悲観せずに、一生懸命子育てしてるみたいだし。

何が正解かわからんねー。

生きづらさや、特性や、二次障害の精神疾患など、発達障害当事者は抱える問題が定型発達な人より多い。

だけど「ワイは障がい者やねん!配慮してくんちぇ!」とだけ言っても、多分相手にされんだろうなぁと、ふと思う。

発達障害って概念はここ10年くらいで注目されてきたでしょ?アラフォーいちこの同世代のお友だち達は、子どもの頃に発達障害なんて概念なかったに等しいから「変わってる子」で一括りにされてきたでしょ?

 

いちこのお友だち達も、大人になるまで発達障害の存在を知らず、生きづらさを感じつつ、仕事をし、結婚している。

二次障害で精神疾患を患った子も、患ってない子もみな懸命に暮らしてるよ〜。

発達障害の概念は難しい。昔は「変わってる子」って括りだったけど、今は「障害」になる。どっちがいいんだろうね〜。二次障害が出る前に先手を打てる、今の方がいいのかな?

いちこは障害者手帳を取得したのは遅めだったから、学生時代は自分のことを「障がい者」という実感がなかったんだよなぁ。

「障がい者」という実感は自己肯定感を低めるよね〜。

何が正解かわからんが「障害」とか「疾患」って括りでその当人を見つめる前に「ひとりの人」として見て欲しいかなぁと感じる。

 

よくわかんないけど発達障害って括りで楽になるのか、逆に苦しくなるのかはその人次第なのかね。