色恋とか美容に意識を向けるとせめぎあう感情

夏場のノースリーブはなんとも気持ちのよいものである。二の腕の太さとかはお構いなしに、私は夏場はノースリーブをよく着る。そこで浮かび上がる、むだ毛問題。
手足に関してはシェーバーで手入れをすることにしているけれど、わきはそうもいかない。というのも、中学生の頃に若い体育教師が「自分で抜くと腋臭になる。剃ると皮膚が黒くなる」と授業中に宣うたのだ。思春期にグサッとささる言葉だった。結局その体育教師は脇毛を溶かす薬剤が処理に一番よいと言っていた。そして私はその言葉を信じ、約七年程そうやって処理をしてきた。
しかし、面倒だなぁと思う気持ちは常につきまとう。手足の処理もままならないこともあったのに、あのツンと鼻につく薬剤で処理する手間。どうでもよくなったこともあった。結局、シェーバーで剃ったりもした。しかし、シェーバーの手入れは何故か脇の臭いがどうも気になってしまう。

色々と悩んで、脱毛の門を叩いたのは二十歳を過ぎた頃だった。永久脱毛、六回完了コースで5000円。当時、通っていた美容室の美容師さんが通っていると聞いたお店は勧誘がうるさくないので、通い始めた。
永久脱毛なんてものはない。そこで出た結論だった。
しかし人間は学習しないものである。また、「面倒」と「永久脱毛いいかも」という気持ちが湧き出てエステの門をくぐった。かれこれ昨年に話は遡る。季節は冬だった。


それから半年が過ぎ、施術も半分が終わった。最近ではエステティシャンのおねえさんとも打ち解けて色々と話をするようになったのだが…。
人生観や価値観の違う人と接するのはエネルギーがいるなぁと改めて実感させられた。
「美しくありたい」いつまでも永遠のテーマであると考える女性は少なくなかろう。その反面、結婚などを機に、化粧品のランクを落としたり、下着を安いものにかえざるを得ない女性も多いはずだ。結婚している友だちに聞くと、「二人の生活を守るためには独身時代と同じ経済感覚で美容に力を入れられなくなるもんよ。」と言う人が多い。
しかし、エステティシャンは違う。結婚していようと、子供がいようと、離婚していようと、美容への投資は惜しまない。それは、生活を守る術が「エステ」だからだ。美しくあることがライフスタイルなのだ。努力もお金も惜しまないのは当然かもしれない。

ぐだぐだ並べたけれど、結論は「美容に力を入れているエステティシャンの弛まぬ努力をしている話を聞いて、その努力の方向性を私は違った分野に使っているので感心はしても真似は出来ないと思った」ということ。
・美意識の高さ故の仕事へのプライド。
・実は離婚歴のある自分の再び結婚することによって得られる女としての尊厳。
・恋をしないと女性は美しくない。
この三点を色々とレクチャーされたのだけれど、私がエステのドアを開いたのは「手入れが楽」という理由であって、美しい自分が恋をし愛されて美しくあるためというよりは、夏場の処理の手間を省きたかっただけなのだ。
私とエステティシャンが相容れないのは明確だと思う。


美容の意識・男子への振る舞い・人生の価値観。どれをとっても賛同するものはなく、人生の価値観ともなればもう異文化そのものだ。この歳にもなれば、似た価値観の人と仲良くしたいと思うもので、プライベートはそういう人と一緒にいてホッとしたい。学生の頃みたいに違う価値観の人とも仲良くしなさいとも言われないわけで、価値観違う人とは表面上の付き合いだけで十分だす。
そうやって、くっついたり離れたりを繰り返して人間関係が出来ているのに、女性としてのしたたかさを外観の美しさのみで語られるのには困ったなー。


恋愛現役。いつかは花を咲かせたい。世の中の女性のほとんどがそうは思っても、目標達成へのアプローチの仕方は人それぞれ。私とエステティシャンではアプローチの仕方が180度違う。
それでもいいでしょう。自分が納得しているのなら。自分の恋愛観や人生論を人に押し付ける人は向上心をもとう、共に闘おうということなんですかね。悪い人ではない。しかし相容れない。
モテ系が苦労してるのなら、モテない系だって苦労している。歩み寄って花を咲かせることは難しいから、あまり干渉しないでいただきたい。


エステとかネイルサロンで恋バナを咲かせる女性だけで世の中は構成されていないのです。
美しくなりにいく場所で疲労している女性もいるのではないでしょうか。意固地なんでしょうか。女性として終わってるor終わってないは今の私にとって難題であります。