メランコリー

自宅の寝室のベッドに寝そべって麦茶を飲んでいる。

 

なんだかしんどーな土曜日の夜!ですよ。くたびれたー。明日はおうちで大人しくしとこう。休みの日は休むのだー!

 

たまに孤独に打ちひしがれて、肩を落とす日もあります。誰かと共にいても、消えないさみしさがあるのですよ、あらがうのでなく、この砂漠と共に生きよう。

癒えない渇きは誰しもある。

渇きに心がヒリヒリして、思わず涙目にもなるけど、まあこんなもんかなとも諦めもつくわけで。

生きるのに精一杯だった10代、20代の自分が今の自分を見れば「随分しぶとくなったね」と思うだろう。歳を重ねる毎に、鈍くなって、緩くなって、なにもかもがどうでもよくなってきた。どんなに今の自分がカッコ悪くても、毎日がに股で生きていくしかない。

転んだらどう立ち上がるかよ。

 

体重計の数値が減ることに喜んだり、貯蓄の残高が増えることにニマニマしたり、血圧の数値の安定に安堵したり、よくよく思い返すと、私も随分と生きることに執着が出てきたらしい。

 

「生きることに向いてない」と絶望したり「生きづらさに名前がついても根本の改善にはならない」と憤慨したり、落ち込むことが多い。

いちいち悔しいことの多い毎日だけど、気づかずに過ぎ去っていった良いことも、きっと思い出せばたくさんあるはずだ。

 

私が私である意味を探すのはこれから先も続くだろう。

そのときも君が隣に。そのときも君の隣に。

 

お腹が減って、寒かったら、大体いいことは考えつかない。お腹いっぱい食べて、ポカポカお風呂で温まって、今夜も床に就こう。

明日のことは明日かんがえよう。いい夢を。