縋りたい誰かを失う度に誰かを守りたい私になるの

自宅の寝室のベッドに寝そべってBRITAの水を飲んでいる。

 

眠気ねむねむん!な金曜日の夜!ですよ。本日は充実感でいっぱい〜。仕事の後にメンクリで、認知行動療法を受けてきて、目からウロコが落ちまくった!頭の回転の速い人と話すと、会話のラリーがバコンバコンなるから、非常におもろいなぁ。打てば響くとはまさにこれ。

心理士の先生と人付き合いや、コミュニケーションの苦労について話し合ってきた。発達障害のある人は、その人それぞれの生きづらさを抱えているよねぇ。だけど、自分の悩みが実は形骸化されているとわかったら、なんとも拍子抜けよね〜。パターン化された悩みもその人それぞれのオリジナルなんだな。

本日はコミュニケーションの苦悩から、人の孤独と才能について考えてきた。その人のしあわせとは。しあわせの基準とは。人と比べて測れるものではないことがよくわかった。比べて悩んで落ち込んでたら道は拓けんわな。

自分が自分を納得させることよね〜。

自分が自分を受け止めんとな。

指図してくる支援者には要注意。困っている人を「救ってあげたい」「導いてあげたい」と考えることの傲慢さよ。余計なお世話。

自分で考えなきゃ駄目よねぇ。人に決めてもらった人生は自分の人生ではないわよねぇ。助言はしても選ぶのは本人やで。

 

今の主治医にかわって、自分の頭で考えることが増えたなぁとつくづく感じる。

前の主治医には困ったことが出てきたら、いちいち相談して、助言してもらってたからな。

今の主治医には事後報告。「悩んでたけどこうしました。そして今こうなってます」という話。それで大体どんな問題も落ち着く。自分の力で解決できるのは強みよ〜。

 

「縋りたい誰かを失う度に誰かを守りたい私になるの」とは中島みゆきが歌ってましたな。

その心境が最近よくわかります。

 

人間、日々成長よ〜。